事業の成り立ち– Our Origins –

塩田事業の始まり

60歳代の半ばに縁あって、キリバス共和国クリスマス島において小規模な塩田事業に携わることになりました。キリバス共和国としては、全国土面積の二分の一の広さを持つクリスマス島をこのままほっておくわけには行けない、1987年、キリバス共和国の政府は、この島にできるだけ多くの人口を吸収できる産業が育つことを望んでおり、栗林徳五郎名誉総領事にこの計画立案を要請依頼した。当初の計画は下記のとおりである。

沿岸漁業、マグロ、カツオ漁業、農産物供給事業、観光事業、海藻養殖事業、ココヤシ栽培事業等、構想はいろいろあったが、多くの島民をクリスマス島に移住されるに足る決定的なものはなかった。そんな中、栗林名誉総領事の発案により、クリスマス島に日本の宇宙センター設立の構想が発表され、宇宙事業団の宇宙港の候補地となった。

栗林名誉総領事は「これぞ正にクリスマス島のあるべき姿」と思い、島を探索して歩いたこの時、偶然に閉鎖されていた塩田を見つけた。以前、国際援助機関が後進国の産業発展の一環として、その塩は作られたものである。白に輝く塩田に出会った栗林名誉総領事は「大変な感銘を受けた」と話しておられた。最良な環境で、太陽と風だけで水晶のように結晶する天然塩を何としても日本に持ち帰り、化学塩のみで生活する日本人のために届けたいと思いキリバス政府と交渉し、1994年、煙草産業より特別許可を得て、13t日本に輸入したのが塩事業に始まりである。

初めてのクリスマス島

当初は、栗林名誉総領事の深い思い入れにも拘らずビジネスとして成り立つ状況ではなかったようである。1998年、栗林名誉総領事主催のクリスマス島ツアーが行われ、私も領事館で純白に輝く水晶のような塩が塩田に広がっていると聞き、是非とも確かめたいという好奇心で参加したのです。塩田は50m四方ほどにサンゴ礁の岩盤を掘って作ったプールにポンプで海水を引き込みます。何面かのプールを通り、強烈な太陽と風の力だけで次第に塩分濃度を上げ、最後に結晶プールに導き結晶させます。 

塩田の周りは人工的な汚染は勿論、自然環境による海鳥等の動物による汚染もありません。塩田周辺の塩分濃度が強いため、魚も鳥も来ることが無いのです。よくもこんなに清潔な環境に塩田を作ったものだと感心するばかりです。帰国後、栗林名誉総領事より「何とか塩の事業を手伝ってくれないか」との要請があり全面的に引き受けることにしました。販売価格を統一し、当時は対抗商品もなくスムースに販売ルートが広がりましたが、2001年、エルニーニョによる異常気象で雨が降り生産がストップしました。

天候との闘いと試行錯誤

クリスマス島海の塩には雨の降らない3ヶ月が必要なのです。結晶が溶けてしまうからです。塩の国内在庫もわずかとなり、折角よい取引先もでき、ファンもついてきてくれた矢先のこと、クリスマス島海の塩を絶やすわけにはいきません。
試行錯誤の結果、トレーによる塩づくりに成功しました。金魚すくいに用いられるような大きなトレーを、コスモ石油の協力を得て100枚、塩田に届けたのです。塩田で濃くなった塩を柄杓でトレーに移し、雨が降ればトラックシートで被い雨をよけます。3ヶ月で見事な塩ができました。

20年あまりクリスマス島海の塩づくり、販売に携わってきて、私の思うことは塩田も畑であり、手塩にかけることで良い塩が生まれるものと信じています。また、大自然の恵みともいえるこの塩に学ぶことは多くありました。
極めて健康に良いこと、ピュアな塩は決して人に害を与えません。ミネラルをたっぷり含んだ自然塩は身体に抵抗力をつけ、夏は熱中症、冬は風邪の予防といった強い体力づくりに寄与します。是非この機会にお試しください。