1989年(平成元年)
当時、キリバス共和国名誉総領事(株式会社南洋貿易 会長)栗林徳五郎氏が宇宙事業団の候補地として、クリスマス島を全面調査(パシフィックコンサルタント)中に偶然に廃田になっていた塩田を発見。
1994年(平成6年)
持ち帰った塩の評価が高かった事により、日本たばこ産業を通じて10tほど輸入したのが始まりです。
1998年(平成10年)
栗林徳五郎氏の主催でクリスマス島ツアーが開催されました。このツアーには大変感激しました。地球上で未だにこんな素朴な島がのこっていたこと、海の美しさ、夜空の星。塩田は、50m四方のポンドが10面、その内の使用されていたのは6面ほど、一番手前に結晶池があり、そこには今日まで目にしたことのない純白な結晶が、氷の結晶同様キラキラと輝いていました。このツアーは、私にとって数え切れないほど思い出に残る体験でした。
1998年(平成11年)
栗林徳五郎氏から連絡が入り、「クリスマス島の塩の販売を手伝ってくれないか」ともお話をいただきました。当時、私はコスモ出版㈱を経営しておりました。三笠宮殿下のご協力を賜り「EGYPT(エジプト)」という超豪華本を出版することができ、三笠宮殿下を通じ平成天皇に伝承。


さて次はと企画に悩んでおりました。栗林徳五郎氏の熱意ある要請に、キリバス共和国領事館の顧問としてご協力することになった次第です。 1994年(平成6年)に初めて輸入されたクリスマス島の塩は、北海道の栗林コンツェルンの関係者だけが殆どの得意先で他にはあまり販売先はありませんでした。どうせお引き受けするなら、クリスマス島の塩を日本のブランドにしてみようと決意しました。始めた当初は、領事館という背景もあり有名店も次々と扱ってくれました。「クリスマス島海の塩」はそれなりに有名になりました。
2001年(平成13年)
やっと売れ始めた矢先、エルニーニョによる異常気象の影響でクリスマス島に雨が多く降るようになり、塩田に全く塩ができなくなり、日本の在庫も少なくなってきました。クリスマス島の塩田では晴天が最低3ヶ月~4ヶ月が必要になのです。栗林名誉総領事より私に「クリスマス島の塩は私の命、何としても残したい」との懇願がありました。
2002年(平成14年)
クリスマス島の島民は、鍋に塩水(海水)を入れ天日に干して塩を自分で作るという話しを聞いたことがあるので、現地に行きテストを始めました。試行錯誤の結果、大きなトレーがあればクリスマス島の塩はつなげるとの確信を得て、大きな入れ物でテストをしてみました。濃くなった塩水を器に入れ雨が降ればシートで覆い雨をしのぐ、この繰り返しで大きなトレーが数多くあれば日本にある程度の在庫を切らさずに済むという確信を得ました。
2003年(平成15年)
コスモ石油㈱様の協力を得て金魚すくいに使われているような大型のトレーを100枚現地に送りました。私の頭の中ではしっかり構想はできていたのですが、現地の担当者は理解ができていない。しばらく現地に行き指導、実行した次第です。要領得るまで大変でしたが、まずトレーで3t生産できました。


2005年(平成16年)
宇宙事業団プロジェクトは撤退しました。栗林名誉総領事より「クリスマス島の塩田は残したい」との強い要望が再度ありました。一時でも国内在庫が切れる憂き目にあったので、国内在庫を切らさないためにも、トレーによる生産をもう少し増す必要があると考え、南出氏、吉本君の協力を得てトレーを80枚追加しました。この年、トレーでの生産だけで6tの輸入ができました。
2006年(平成17年)
天候に恵まれ、技術の改良も進み61t生産(池とトレー)輸入。 30~50tの生産可能の確認が得られる。本格的な営業に取り組む。
2007年(平成18年)
天候が良く塩田も完全復活し、年間70tの生産可能となりました。
2008年(平成19年)
前年同様、70t。思い起こすと塩のできなかったあの頃、日本から大きく重いトラックシート背おって、役に立つであろうと思う小物を揃えて箱詰めし、クリスマス島に持ち込み、わずか5時間滞在という過酷なスケジュールに耐え、ついてきてくれた斎藤女子には心から感謝しております。
あえてお伝えすれば、クリスマス島で塩ができなかった3年間。私たちが懸命に模索し生産しなければ、クリスマス島の塩は終焉を迎えていたかも知れません。残念ながらトレーでの塩の生産に私たち以外に携わった人はおりません。 いかに大変な作業であったかを知る日本の方はいないはずです。1枚のトレーに海水(塩水)を満たすだけでも大変な作業、これが100枚ですからお分かりかと思います。
※ 1枚のトレーで約30kgの塩の生産が可能
一時、夢中で塩づくりのことばかり考えていましたが、天候が良く、従来の塩田に戻れば70t~80tは何の努力もなしでできるのがクリスマス島の塩、大量の塩がクリスマス島から送られてきました。喜んではいられないのです。 年間、5t~10tペースできた塩の販売は100tもの塩が一度に入荷したのですから大騒ぎ、しかも今日では塩の自由化でどこからでも、またどこでも塩を作り販売するようになりました。 この影響をクリスマス島に塩もまともに受けました。希少価値、価格、塩での商いは難しくなりました。
2008年(平成21年)
クリスマス島というイメージと、塩の持つ特質をもとにクリスマス島の塩由来の数々の商品開発を始めました。クリスマス島という名のイメージもあってか、大手各社のクリスマス商戦に使用されています。
●石鹸 テボテボ、タオロテラピー
●Xmas・Island 21シリーズ
エッセンス、クリーム、ローション、洗顔フォーム、
ジェル、ピーリング
●桑の葉うどん(海藻)
●むらさき麺(海藻・古代米)
●羊羹、フルーツゼリー、アイスクリーム等








化粧品を開発した理由は塩だけではありません。クリスマス島から輸入したある海藻があったからです。学名はKAPPA FUCUS CHRISTMASです。私の開発した化粧品は、海藻からの抽出液とクリスマス島の塩を使用しています。
2018年(平成30年)
日本国が主催し太平洋諸国14ヶ国の大統領が集い、3年に一度に開催される“太平洋・島サミット“に合わせて,テワコーポレイション㈱ は、塩のラベルを一新しました。地域温暖化の被害を受けているキリバス共和国支援のため、SAVE KIRIBATI(キリバス共和国を守ろう)のマークの図案です。キリバス共和国の大統領に大変お褒めのお言葉をいただき、現在に至っております。
